こんにちは。イッシキです。

 

今回は特に役に立つ記事という趣旨では書いていません。

 

ある意味私のプロフィールです。

 

最後にメッセージは入れていますけど、本当にちょっとしたものです。

 

私が母のせいで病んでいった話

あれは小学1年生の頃です。

 

だから6歳か7歳になりますね。

 

母と風呂に入ってたときのことでした。

 

突然脈絡なく「あんたお婆ちゃんのことは好きか?」と訊かれました。

 

母から尋ねられたことではありますが、これは父方の祖母のことを指しています。

 

当時私は、私が何をやらかしても常にニコニコして許してくれる祖母が好きでした。

 

そのことを答えると、母は「あのお婆ちゃん、お母さんが育てた花とかをハサミでちょん切っていくねんで」「それでも好きか?」と更に訊いてきました。

 

ショックを受けました。

 

とくに大きなショックというわけでもなく、びっくりした、という表現のほうが正しいかもしれません。

 

あとからわかったことですが、祖母はおかしな人間だったそうです。

 

花をちょん切るなんてまだマシな方で、部屋中にうんこをなすりつけたり、家の中では息がかかるような距離で母を追い回すような人でした。

 

それで母はどんどんノイローゼになっていきました。

 

で、その日を境にして母は私に対してよく愚痴を言うようになりました。

 

祖母の愚痴、そしてその祖母に育てられた、私の父の愚痴がメインでした。

 

まあその他にも、母の姉妹の愚痴、友人の愚痴。

 

その中でもだんだん父の愚痴・・・というか悪口がメインになっていったように思います。

 

で、何時間にも及ぶ愚痴を吐き終わったら「聞いてくれてありがとうね」と、話を切り上げて夕食の支度に入ると言った具合でした。

 

まあどんどん病状が悪くなっていって、最終的には私が炊事をするようになったわけですが、それはまた別のお話ということで。

 

現在、私がかかっている臨床心理士のカウンセリングを受けてわかったのですが、というより気づいたのですが、この時点で母はおかしかったのだろうと思います。

 

いい大人が自分の愚痴を、よりにもよって6,7歳の子供に吐き出すって。

 

ですが私は母が最後に言う「ありがとう」のために、毎回聞いていました。

 

今から友達と遊んでくるというときでも、母は「聞いてくれへんか」と私を引き止め、私はそれを受け入れて愚痴を聞き続けました。

 

これがずっと、私が大学に受かって家を出るまで続きました。

 

しかしもうその時には私もかなり汚染されていたんだと思います。

 

大学に入り、勉学に励んでいた私ですが、同時にインターネットのチャットにもハマっていました。

 

チャットにはいろんな人が居て、私の母と同じように家族間や夫婦間などに関する悩みを持ち、誰かにそのことを聞いてほしいという人も居ました。

 

その時、私は変な正義感に駆られました。

 

「常々、母の悩みを聞き続けていた自分ならこの人を救える」などという傲慢な考えを持ち、そういった人たちの話を聞いていきました。

 

普通なら逃げるところです。

 

しかしその妙な正義感もどきのせいで私はそういう人たちの話を聞き、それが自分をどんどん蝕んでいきました。

 

プロのカウンセラーなら、仕事とプライベートを使い分けることができます。

 

仕事で患者の悩みを聞くけど、プライベートに入ったらそれらのことは一旦忘れて、しっかりとプライベートを楽しみます。

 

しかし素人の私にそんなことはできませんでした。

 

悩み話を聞いたら、頭を切り替えることができず、それがずっと頭の中に残るんですね。

 

色んな人の悩みが、ずっと頭の中を渦巻いていました。

 

人によっては、午前二時くらいに電話をかけてくるような人もいましたけど、なんかもう、それを聞くのが自分の使命みたいに勘違いしていたんですね。

 

そのことを、自分は母にしてあげたように、他の人の力にもなってるという具合に母に話したら「人の悩みを聞いてあげてる?お前は何様のつもりや!」と怒鳴られました。

 

当時はわけがわからず落ち込みましたが、今からでは「だれのせいでそうなったと思っている?」と言い返したい気持ちです。

 

で、そうやって自分でも気づかないうちに蝕まれていっているところに、更に母からの電話が入ったりすることもありました。

 

電話に出たとたん「助けてくれ~~!!助けて~~~!!!うわあ”あ”あ”あ”あ”あ”!!!!」という声。

 

その時は父と何かあったのだろうと思い、次の日、実家に向かいました。

 

実家は関西。

 

大学は北海道だったので飛行機を使ってです。

 

それ以外にも母の介護のために実家に戻ったなんてこともありました。

 

母が首を吊ろうとしたけどロープの結び目が弱かったため、転倒し、いろんなところを骨折したためです。

 

その間は学校を休み、何かあったときにすぐに駆けつけられるように、今に布団を敷いて寝かせ、私はその横でパソコンを使って論文を書いてました。

 

ずっと母のうめき声を聞きながら。

 

こういう事態も、私が蝕まれていく原因だったのだと思います。

 

大学生、大学院生、社会人になっても、そういった生活が続きました。

 

さらには恋人が死に、上司からパワハラを受け、ついには休職に至りました。

 

休職ということで実家に身を寄せたのですが、当然のごとく、私は愚痴のはけ口になります。

 

もうこの時点では完全に父の悪口ばかりでした。

 

私が子供の頃から父は働きに出ているので、必然的に母と過ごす時間が長くなるわけですが、その母からずっと父の悪口を聞き続けてきたわけです。

 

私の中でも父はかなりの悪人になっていました。

 

本当に、気がおかしい人間なんだと本気で思うようになっていました。

 

実際に、父にはかなりきつい当たられ方をしていましたし、それも拍車をかけていたのだと思います。

 

ある日、母がガンにかかったことがわかりました。

 

胃癌で、結構早期に見つかったのですが、転移を見逃されてしまったため手遅れになってしまったんですね。

 

私はどんどん衰弱していく母を病院に送り迎えしていました。

 

しかし私の休職期間はそこで期限を迎えてしまいます。

 

私は東京に戻り、全ての母の世話は父がすることになりました。

 

父は本当によくやったと思います。

 

母が家にいる間はしっかりと介護を。

 

母が入院してからは毎日仕事帰りに見舞いを。

 

家には犬もいましたから、朝と夜も散歩に連れていきました。

 

母は、毎日見舞いに来てくれる父を見て「こんなに自分を思ってくれてるとは知らなかった」と言ったそうです。

 

そしてターミナルケアの病院で亡くなりました。

 

はっきり言って、私にすれば「なにそれ?」です。

 

あれだけ散々、子供の頃から父の悪口を私に聞かせ、私にどんどん悪意を植え付けておいて、自分だけ納得して逝ってしまったわけです。

 

父と話をしたいから、間に入ってくれと言われたことも何度あったかわかりません。

 

電話にでるなり「助けてくれ」と言ったあのときの声なんて、トラウマものでした。

 

父はセックスが下手だった、なんて話もされました。

 

聞きたくないですよ、親のそんな話。

 

母が亡くなったあと、父とはどう接して良いのか全くわかりませんでした。

 

父も同じだったと思います。

 

で、そういう話を臨床心理士にしたことがあったんですけど、曰く「母の行為は精神的虐待に他ならない」とのことでした。

 

上でも書きましたけど、考えてみれば、そりゃそうです。

 

小学1年生からずっと子供に吐き出すようなことじゃありません。

 

母以外の人間のカウンセラーもどきになってしまったのも、それが原因です。

 

なんで母は、プロのカウンセリングを受けなかったのでしょうか。

 

私の小学生時代の記憶って、母からそういう話をされたことと、そういう話をしていないときは部屋を暗くしてずっと寝ている母が大半を占めています。

 

母は寝起きも悪いらしく、私のカオをみるだけで「お前はどっか行け!!」と怒鳴られたこともありました。

 

日当たりは良い家だったはずなのに、もう本当に家の中の雰囲気は常に暗かったという印象です。

 

まあ体罰とかはあまりありませんでしたけどね。

 

学校に忘れ物をしていったときなんかは靴べらで鼻血が出るほど殴られたこともありましたけど、そんなに頻繁に殴られたわけではありませんでした。

 

まあそんな感じで育てられた私なもんですから、母が亡くなったときには完全に精神が病んでいました。

 

もういろんなクリニックに行き、クスリをもらって、それこそ会社に行く時間以外は母と同じように寝ているだけの生活です。

 

イライラして家具という家具を壊しまくった日もありました。

 

全て買い直すのに結構お金かかりましたね。

 

病気が少しよくなって見えてきたこと

その後少しずつですが、あることを転機として病気は少しずつですが良い方向に向かうことになります。

 

で、今かかっている臨床心理士と会ってカウンセリングんを受けることになり、少しずつですが自分を振り返ることをしました。

 

で、やっと小学生のころから洗脳されていた自分ではなく、現在の自分として母を見ることができるようになったわけですが、そうやって見た母はあまりに孤独でかわいそうな人でした。

 

友人も少なく、その少ない友人のことさえ悪く言い、自分の夫を悪くいい、自分の両親を悪く言い、誰も信じられなかったわけです。

 

母自身も精神的な病で苦しんでいたから、妙な宗教にもハマったりしてました。

 

あまりに悲しい人生だったんじゃないかと思います。

 

最期を迎えるときに、父の良さを知ったのは大きな救いだったのだろうな、とも。

 

で、こうやって過去を正確に振り返ることでもう一つ思い出してきたことがあります。

 

そしてそれが更に私を悩ませることになりました。

 

ここまで母のせいでひどい目に遭ってきたという話をしましたけど、母らしいこともちゃんとしてくれていた、ということです。

 

元気だったときは、食事も作ってくれましたし、勉強がわからないときは教えてくれました。

 

私が小学生時代のときは、ずっと寝っぱなしで起きたら怒鳴りつける、という生活でしたけど、私が高校生くらいになったときは起き上がれるようになり、弁当も作ってくれるようになりました。

 

なぜ私の小学生時代にはあんなひどい状態だったのに、高校生時代には少しマシになってたのかということを父に聞いたのですが、どうやら引っ越しをしたことが大きかったようです。

 

私の小学生時代に居た家はマンションだったのですが、近所から迷惑を被りまくってたため、さらに母の病状を悪化させていたけど、引っ越しをしたことで、少しは落ち着いてきたのだそうです。

 

もっとも、その引っ越しも、一度や二度ではなかったので、結果数千万円は損をしたと言ってましたが。

 

で、こうなってくると私は母に対してどう思えばいいのかがわからなくなってきたんです。

 

私を精神的に追い詰めたことに対しては、本当に恨みつらみがあります。

 

でもそうして、私が感謝できることもしてくれてたわけです。

 

そのことを臨床心理士に相談もしました。

 

そしたら教えてくれました。

 

「その二つの感情は、相反するものではない。

 

誰だって同じ人のことを好きだと思う部分と、嫌いだと思う部分を持っている」と。

 

たしかにそれはそうですね。

 

ただ、友達とかに対しては、好きだという部分のほうが嫌いだという部分より多いから、そうした二つの相反する感情を自分が持っているということに気づかないんだと思います。

 

多分、嫌いである部分のほうが大きかったら、友人にはなっていないでしょうし。

 

そして私が母に対して思う感情は、好き半分、嫌い半分と、割合が大きく違ったから、戸惑っていたのでしょう。

 

ひょっとしたら、割合はもうちょっと変化するのではないかとも考えたのですが、やっぱり半々くらいですね。

 

これをどう取るべきなのかは、また悩ましいところではあるのですが。

 

いずれにしても、そういう風に分析もしていくことができるようになったことで、やっとその戸惑いも少なくしていくことができるようになったわけです。

 

で、そうやって分析した結果、やっぱり私が精神的な病気にかかったのは、母のせいであることも再確認できました。

 

最後に

私が病気になった理由は、こうした母の私に対する扱いであったという話でしたが、他の家庭には他の家庭の事情があるのはわかります。

 

むしろ私なんて、母に対して好きな部分もあるというだけマシだったのでしょう。

 

ただ、今思うことはこうして母に対する思いを自分で分析でき、心の対処の仕方を知ることができてよかった、ということです。

 

これを読んでくれている人の中には毒親を「毒親」としてしか見ることができず、そこで悩んでいる人もいるんじゃないかと思うんですね。

 

私のように分析した結果、「やっぱりあいつは100%毒親でしかない!」という風な考えに落ち着くことも一つの解決だと思います。

 

でも、「あいつは毒親に違いない」という、主観的な考えしかない状態であるならば、一度カウンセラーなんかと相談して、自分の過去を整理してみるのも良い手段ではないかと思うのです。

 

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