こんにちは。イッシキです。

 

うつになったときに出てくる、対処に困るものの一つに希死念慮というものがあります。

 

まあ簡単に言ってしまえば「死にたい」って気持ちですね。

 

かなりデリケートなテーマですので、記事にしていいのか迷ったのですが、あくまで「イッシキ流」だとご理解頂いた上でご覧頂ければと思います。

 

私の経験から言うと、死にたい理由は「もう面倒」だから。

 

うつのことで悩むのも、生活のことで悩むのも、人間関係で悩むのも、ほかのことで悩むのも面倒。

 

人生プラスマイナスゼロっていうけど、完全にマイナス

 

他の人が普通に生きてるなかで、なんで自分はこんなマイナスの人生を歩まなければならない?

 

死んだら少なくともゼロには持っていけるだろう。

 

そんな感じです。

 

(とある作家は「人生プラスマイナスゼロって言ってるやつは、決まってプラスのやつだ」と言ってますね。)

 

で、私が希死念慮を防ぐためにはどうしたか、っていうと「この世の未練を考えまくる」です。

 

まあありきたりと思われるかもしれませんけど、自分がこの世でやり残したことを一つずつ確認していく作業って結構効果的ですよ。

 

長編漫画のラストを読みたい。

旅行で行きたいところがある。

遊びたいゲームの新作が発売される。

まだ食べてない、美味しいものがある。

 

そんな感じで一つずつ挙げていってみます。

 

で、そんな中でも特に効果的だな、と思う未練が「この人(物)を残してあの世には行けない」というもの。

 

自分がいなくなったら悲しむであろう人のことを思うこと。

 

別に人じゃなくてもいいんです。

 

動物や、自分のコレクションなんかでも良いと思います。

 

自分が死ねば悲しむ動物がいる。

 

自分が死ねば、一生懸命集めたコレクションがゴミ扱いされてしまう、というように。

 

私の場合、最初は実家で飼ってた犬のことを思い出してました。

 

実家にいる家族より、私になついてくれる犬でした。

 

一番なついてる自分がいなくなったら、犬は悲しむだろうと思うようにしました。

 

今では、実家にいる父がその対象になっています。

 

ずーっと忘れてたんですけど、母がガンで亡くなったとき、父が泣くところを初めて見ました。

 

オイオイ泣くわけではなくて、涙を流してただけだったんですけどね。

 

父とは色々問題がある関係だったので「私が死んだところで父は屁とも思うまい」と思っていました。

 

しかし私が寛解に向かうにつれて父の考えもわかるようになり、私が死んだらまた父は泣くだろうと思うと、死ねなくなりました。

 

今でも「死にたい」と思うことはよくあります。

 

ですがかつて程の希死念慮ではなくなっています。

 

まあこうやって私の場合は「今は死ねない」というふうに思えるようになったわけですが、「そんな悠長なことを考えてられない」という時期があったのも事実です。

 

一つ一つ死ねない理由とか考えてる余裕なんかねえよ!と。

 

もうそんなときは、頓服を飲んで芋虫のように丸くなって、嵐が通り過ぎるのを待つしかありませんでした。

 

ただ、この記事を読めるくらい、PCやスマホを起動してネットを見てみようという気持ちになれる余裕があるのであれば、私のやり方もある程度は有効になるのではないかと思います。

 

参考になれば幸いです。

 

⬇応援ポチをしていただけたら、とても嬉しいです。






「場所」「時間」を選ばずにできる仕事に興味を持ったら、こちらをクリックしてみてください。
その概要が記されたページに飛びます。