こんにちは。イッシキです。

 

今回は私の基本的な考えの一つといえる内容ですが、読む人によっては不快な気分になる可能性がある記事ですので、一応閲覧注意ということで。

 

そしてこの記事の重要なことは最後の部分で書いていますので、そこまで飛ばしてくれても構いません。

 

さて。

 

誰しもなんらかの病気にかかってしまうことはあると思いますが、どう考えても「自分は運が悪すぎる」というような病気にかかってしまう人も居ます。

 

癌だったり、感覚器官が機能を失うものであったり。

 

病気ではなくとも、大きな事故なんかで手足を失ってしまうこともあります。

 

うつ病や躁病なんかもその一種だと思うんですね。

 

癌とか筋ジストロフィーみたいなものとは比較にはならないとは思いますが。

 

で、この「運」というものについて考えてみました。

 

よく「人生は自分で切り開くものだ」とか「悪いことを人のせいにするな」とかって言うじゃないですか。

 

でもこれ、「そう言える人ってやっぱり運がよかったんじゃないの?」と思わくもないんです。

 

「人生を自分で切り開いてきた」。

 

自分で切り開けるような壁しかなかったんじゃないの?

 

切り開けない壁があったらなら、今あなたはここに居ないでしょう?

 

「人のせいにするな」。

 

じゃあ虐待とかで親に殺された子供は、自分のせいで死んだの?

 

というような感じで。

 

もちろん反論があるのはわかります。

 

頑張ってきた人は、めちゃくちゃ努力してそこまで来たわけですから。

 

私も世間では難関と言われてる大学院で、工学修士を取得しています。

 

かなり勉強、研究しました。

 

高校時代、大学時代は本当に頑張ったと思います。

 

でもこれ、やっぱり「頑張れる環境」と「頑張れる力」があったからだと思うんですね。

 

そのどちらかが欠けてただけで、こうはいかなかったわけです。

 

例えば親がろくすっぽ仕事をしないで、学費も出せないような人ならこうはならなかったわけです。

 

親が私を、ちゃんと頑張るべきところで頑張れる人間に育ててくれなかったとしても同様です。

 

「そういう環境にいる人でも、奨学金をもらったりして頑張ってる人はいる」「私はそういう環境でも頑張ってきた」とかいう人もいますけど、「あなたには頑張れる才能があっただけだろう」というふうにも思えるんです。

 

こういう場合に使われる「才能」って言葉は、怠けの言い訳とみなされ忌み嫌われる傾向にあります。

 

しかし次のような場合はどうでしょう。

 

例えばまったく違う人間が、全く同じ環境で育ったにもかかわらず、一方は成功を収めて一方が失敗をしてしまった場合を考えてみます。

 

その差っていうのは(頑張ることができるということも含めた)才能であり、そして才能の有無は運で決まるものではないのかと。

 

もちろん私も「人のせいにすんな」「なんでもかんでも運に頼るな」と言いたくなることはあります。

 

でも、こうやって突き詰めていけば、ほんと世の中のすべてって運で出来てるとしか思えないんですね。

 

うつ病とか躁病になることもそうです。

 

「一体自分の何が悪かった?何をどうしたらこの病気にかからずにすんだんだ?」と考えても答えは出てきません。

 

運が悪かったとしか思えないんです。

 

私の場合だと、育った環境にも原因があるとわかったのですが、そんなもの自分の力でどうすることもできません。

 

これが、たばこの吸いすぎによる肺がんとかだったとしても、本来なら「タバコを辞めなかったお前が悪い」と言われるのが普通です。

 

でも「そこまでタバコを吸いすぎる前に、タバコをやめる意志の力をどこで手に入れられたんだ?」「得られなかった自分は運が悪かったんだ」と言えなくもないわけです。

 

正直、「大の大人が何を言ってんだ」と言いたくなるような言い訳ですけど、それでも「大の大人になるまでの環境がまともなら、両親や友人にタバコなんて吸う人はいない、というような環境なら、こんなことにはならなかったんじゃないのか」とも思えます。

 

そうすると次は「じゃあなんで自分はこんなに運が悪いんだ?」「こんな精神の病気になんてかかってしまったんだ?」という疑問が頭に浮かんできます。

 

でもこれはもう、理由なんか無いと思います。

 

「なんであいつには宝くじの1等が当たったのに俺には当たらないんだ?どこでそんな運の差がついたんだ?」なんてことを考えても答えが出ないことと同じです。

 

考えても答えが出ないことを考えるのは、考えるべきではない、考えなくてもいいということです。

 

結局のところ、今できることを最大限やるしか、できることはないんです。

 

私がこんな風に「運がどうした」みたいなことを考えたりしだしたのは、うつ状態のときだったと思います。

 

うつ状態のときって、こういうどうしようもないことを考え出したりして、結局「どうしようもないから死んでしまおう」という結論に達してしまったりします。

 

これを読んでくださっている人の中にも、同じような考えの人がいるかもしれません。

 

でも、生きてこの記事を読めているということは、少なくともインターネットはできているし、目は見えているはずです。

 

決して最悪という状況には置かれていないのではないでしょうか。

 

ですから、「すべては運で決まる」という身も蓋もない話をしてしまいましたけど、仮にそうだったとしてもこの先にいいことが待っている可能性も十分にあると思うんです。

 

だから今できることを最大限やって、その時がきたら最大の恩恵を得られるように頑張っていきたいところです。

 

つまり全てが運で決まるのだとしても、その運をできるだけ引き寄せられるようになっておくことは重要だということです。

 

何もしない場合、あるいは完全に間違ったことをした場合と、運を引き寄せられるように行動した場合であれば、最終的にはやはり後者のほうが運を引き寄せられるはずなんです。

 

電気関係の国家試験に受かるために、何も勉強しない、あるいは音楽の勉強をする人と、しっかりと電磁気学から勉強していく人。

 

どちらが運を引き寄せられるかは明らかでしょう?

 

同様に、お金を稼ぎたいということを目的とするならば、アフィリエイトを始めるという行動も運を引き寄せる手段としては有効なものであるのではないかと思うのです。

 

もちろんそれはアフィリエイトには限りません。

 

でも何らかの行動は必ず起こすしかありません。

 

運を引き寄せる回数と、行動の数は比例しているからです。

 

打席に立つ回数が多いほど、ホームランを打てる確率は高くなりますよね。

 

また、運をうまく引き寄せたとしても、そのことに気づかなければ意味はありません。

 

ここで面白い実験の話があります。

 

「自分は運がいい」と思っている人と、「自分は運が悪い」と思っている人に同じ新聞を渡しました。

 

そして、その新聞にいくつ写真が掲載されているかを数えさせました。

 

「自分は運が悪い」と考えている人は2分ほどかかりました。

 

対して「自分は運がいい」と思っている人は数秒で数え終わりました。

 

理由は簡単。

 

2ページ目に「数えるのをやめてください。この新聞に掲載されている写真は43枚です」と書かれていたのを、見つけたからです。

 

このことから学べるのは、運がいいと思っている人には余裕があり、周りを見ることができる、ということです。

 

もし実際に自分の運が悪かったとしても、周りに目を向ける余裕を意識して持つようになれば、これも運を引き寄せる手段になり得るんですね。

 

少しでも運に愛されるようにしていきましょう。

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